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日刊テラフォーニュース

"北朝鮮"という枠の中で煩悶する権威者たち?

2012年12月14日 20時00分 日刊テラフォー

(画像:CNNニュースサイトより)
先日にも、この新約聖書のエピソードを抜き出した。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」――ローマの使徒への手紙の一片だ。
この部分だけを目にすれば、我々はこの文章を一般論として捉える事が可能だ。もっとも、これは前後の文章を読むと、より深い解釈が可能となる。この"上に立つ権威"とは、当時の「ローマ帝国」と解釈できるそうだ。その時代時代に、従うべき流れというものがある。あくまでその枠の中で、人間は生きなければならない。ある意味では、どんなに優れた者、どんなに斬新な者にも、その宿命は舞い降りる。なぜなら、人は社会によって成り立つ生き物だからだ。(例外もいるかもしれないが、それは人ではないのかもしれない!)
「なぜ、今?」――CNNトップページに、その英語文句が踊った。北朝鮮の話題である。彼らは12日、突如として、長距離ロケット「銀河3号」を発射した。これまで春から夏にかけての時期を選んできた打ち上げが、急に、このタイミングで発射したのはなぜなのか?その動機は、新体制の「外交」「強化」「戦略」にあるという。
アメリカとロシアの利権戦争が行われた冷たい20世紀に、ぷっつりと別れてしまった北と南。目の前にいる同じ民族が、まったく違う道を歩んでいる。どちらも"権威"――いわゆる社会の統治者と、それによる文化の流れの中で煩悶しなければならない。
もちろん、私たちも同じだ。どんなに優れた意見や、優れた先見、優れた技術や思想を持っていても、既に完成された権威と手順の中でしか、自分を表現する事が出来ない。特に日本という島国が歩んできた歴史、そして民族性が、そうさせる。枠こそが社会なのだ。
北朝鮮の権威者の中にも、22世紀へ向けた、広い視野を持った人物がいるに違いない。彼らは煩悶しているはずだ。今、行動を起こせとは言えない。彼らも社会で生きなければならない。しかし、種を蒔いておいてほしい。未来に、花が咲くように。
【記事:G・JOEⅡ】
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